前川 昭一
経歴
昭和2年 (1927年) | 父前川喜作((株)前川製作所及び公益財団法人和敬塾創立者) と母八代の長男として東京に生まれる。 父喜作の実家奈良県御所市では、家業が林業であるが、子供がなく林業の跡継ぎがいないので、戸籍上は喜作の兄前川喜一ときみの長男として入籍され奈良で育つ。 |
昭和19年 (1944年) | 奈良県立畝傍中学5年生のとき、戦時下で学業を中止し名古屋の三菱重工に勤労動員される。 米軍の空襲により畝傍中学生7名爆死。 |
昭和20年 (1945年) | 第一早稲田高等学院入学。 |
昭和22年 (1947年) | 宗教法人和敬会に入会。 臨済宗師家釈大道老師に入門参禅 大学卒業まで続く。 |
昭和26年 (1951年) | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
昭和27年 (1952年) | 株式会社前川製作所大阪支社の前身川口冷凍株式会社社長 |
昭和35年 (1960年) | ジェトロがソ連モスコーで日本産業見本市開催。 前川製作所は自社の冷凍機を出品。前川昭一はそのアテンダントとして訪ソす。見本市終了後、ソ連政府と直接に前川製作所は10,000トンの肉を入れるプラント一式を12セット受注し、モスクワで調印する。 これが戦後の日ソ間のプラント輸出の第1号となる。 |
昭和39年 (1964年) | 株式会社前川製作所2代目社長 そのため養父母を含む一家は奈良を引き上げ東京に転居する。 |
昭和46年 (1971年) | 株式会社前川製作所の親会社 前川産業株式会社 社長 |
昭和50年 (1975年) | 朝霧ジャンボリーゴルフクラブ 理事長 |
昭和51年 (1976年) | 財団法人和敬塾 理事長 |
昭和60年 (1985年) | 志村産業株式会社 社長 |
昭和61年 (1986年) | 公益財団法人和敬塾 塾長 |
平成10年 (1998年) | 財団法人日本ゴルフ協会 理事 ジュニア育成委員長 |
平成14年 (2002年) | 国際ロータリー第2580地区(東京・沖縄)ガバナー 兼 ガバナー会議長 |
平成16年 (2004年) | NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会 理事長 |
平成17年 (2005年) | 国際ロータリー会員組織地域コーディネーター(RRIMC) |
平成18年 (2006年) | 一般財団法人比国育英会バギオ基金(日系フィリピン人の子弟に奨学金を出す組織)会長 |
平成20年 (2008年) | 日台ロータリー親善会議 総裁 |
平成25年 (2013年) | 志村産業株式会社 会長 |
著書
- 街と人(1996年)
- 欧亜の人々(1999年)
- 宗教法人和敬会について(2015年)
歌集
- 清涼(2002年)
- 浮雲(2008年)
【家族】
- 長男 前川喜平(元文部科学省 事務次官)
- 長女 真理子(参議院議員 中曽根弘文に嫁す)
- 次女 マヤ(小泉グループ株式会社社長 小泉和久に嫁す)
- 孫 中曽根康隆(衆議院議員)